東京散歩 池袋〜鬼子母神

鬼子母神


アースダイバー2回目は池袋〜鬼子母神界隈へ。

アースダイバー

池袋は自分のホームグランド的な街なのだが、あまり散策をしたことがなかったので半日散歩することにする。

出発前に池袋で一番美味しいお蕎麦屋「宮城野」でふくろとじ蕎麦をいただく。(写真

グリーン大通り護国寺方向に向かい、東急ハンズ手前あたりを左に曲がったところにある、いくつものスナックや居酒屋が密集する人生横丁を散策。お店の入り口には「はなもち」が垂れ下がり、電線からはちょうちんが吊り下げられていて、昭和の飲み屋街の雰囲気ぷんぷん。
今まで気がつかなかったが、この横丁の脇に「明治天皇御野立所跡」(めいじてんのうおんのだてしょ)なる石碑があった。後で調べたら、この辺は六郷社の森と言われていたらしく、明治天皇が1875年に近衛兵の演習を見たところのようだ。この御野立所というのは全国いろいろなところにあるようだ。飲み屋横丁の脇に明治天皇の石碑。なんともいえない雑多感。池袋らしい。


続いて首都高をくぐり東池袋方面へ。この首都高をくぐると雰囲気が少しかわる。店舗の数がぐっと減り、雑居ビルの合間に昭和な低層のアパートや住宅がひしめく。その先につけ麺でおなじみの「大勝軒」がある。その大勝軒の向かいに42階建て総戸数は558戸のタワーマンション「ライズシティ池袋」(住友商事、東京建物、伊藤忠都市開発)が建設中だった。看板には「完売御礼」のステッカーが貼ってあった。

池袋を歩いているとどこかしらにサンシャインシティが目に入り、ランドマークとして機能しているが、このタワーマンションでサンシャインが死角になるところもあり、多少なりともメンタリティーに影響を及ぼす気がする。まぁそのうちに慣れちゃうんだろうが。


サンシャインの裏には造幣局がありその辺までが高台になっている。造幣局東門の向かいあたりからぐっと谷に落ち込みその下を都電がガタゴトと走っている。ここら辺からまた雰囲気は一変し細い路地が迷路のように走り、狭小低層住宅の町並みへ。都電に沿って歩くとグリーン大通りの先で都電がクロスするあたりにでる。(写真)この辺も車でしか通ったことがなかったから新鮮な雰囲気。その先が雑司が谷霊園竹久夢二夏目漱石のお墓を眺めて散策。


霊園を抜けると地名が雑司が谷になる。この霊園を境にまた雰囲気は変わる。雑多な池袋の雰囲気が浄化されるような感じがする。そのまま霊園の小道を下り、都電をくぐると大鳥神社。神社の前は道路拡張の用地買収が進んでいるようだ。


その先に鬼子母神ケヤキ並木の参道の脇道を入ったところに手塚治が椎名町トキワ荘から移った「並木ハウス」がある。その入り口にある集合住宅っぽい建物の外観がまたいい。(写真
鬼子母神の境内には昔ながらの駄菓子屋(写真)がありにぎわっている。境内のを出てすぐのところに鬼子母神名物のススキのみみずくを売る「音羽屋」さんがある。


明治通りに出ずにそのまま池袋方面に進むと「雑司が谷小学校跡地」に立つマンション。隅には小学校にあった二宮尊徳の石造が祭ってある。突き当たりに「観静院」「真乗院」「法明治」などの寺院がある。その小道の左手にはまたお墓。
池袋って意外とスピリチュアルなスポットが周辺を囲んでいることに驚いた。


お墓の小道を出るとまた雑踏に戻る。ちょっと遠回りしようと思いアズマ通りを右折。また雑司が谷霊園方面へ。すると都電にぶつかるちょっと手前から道路用地買収の更地にぶち当たる。左手に枯れたツタが絡まりついた蔵のような建物がぽっつり建っている。しっかりした建物。ちゃんと移築するのだろうか?
そのちょっと先の右手をフェンス越しのぞくと、なんと遺跡の発掘をしているっぽい。(写真)いつの時代のものかはわからないけど人が脈々とこの地で生活していたんだなぁと感慨深くなる。その先にはサンシャインがニョキっとそびえている。東京を1mも掘り返すと過去が顔をのぞかせ、そのほんのちょっと上に自分の生活の基盤が乗っかっているだけのことなんだと肌で感じる。
この道路用地は首都高5号線がぐっと大曲がりする東池袋から目白通りを都電に沿って貫通するためのものだそうだ。都電周辺の風情は壊さないように開発をしてほしいものだ。